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JUDY AND MARYは90年代を代表する女1人男3人からなるロックバンドです。
通称”ジュディマリ”と呼ばれることが多いです。
1993年にメジャーデビューを果たし、その後に一度の活動休止を挟んで2001年に解散を発表しました。
現在でも楽曲は人気で、動画サイトや音楽サービスサイトでは圧倒的な再生数を誇り、ジュディマリが活躍していた時代には産まれていなかった若者にも認知されています。
解散してからずっと再結成が望まれるバンドでもあります。
今日はジュディマリが解散してしまった理由、そしてメンバーの現在について書いてみたいと思います。
又、再結成の可能性や、再結成が難しい理由についても書いてみます。
JUDY AND MARYの解散までの経緯。バンドの構想は恩田快人が作った
JUDY AND MARYはリーダーでベースの恩田快人さんを中心に活動開始しました。
“Judy And Mary”というバンド名は、快活でポジティヴな女のコ“ジュディ”とすこしひねくれ者のネガティヴな女のコ“マリー”という女の子の二面性を表しております。
恩田さんは昔から『女のコが歌うポップで切ないサウンドをバンドでやる』と決めており、ひょんなことで出会ったYUKIさんがそのイメージにハマったことで、ビジョンが動き出したのです。
1991年6月 | YUKIと恩田快人が出会う。同年中に共にバンドを結成することを決める。 |
1992年2月 | ジュディマリの構想が固まる。 |
1992年4月 | インディーズアルバムをリリースしライブを決行 |
1992年11月 | サポートメンバーであった五十嵐公太が正規メンバーとして加入するも、同年中にはバンドは解散状態。 |
1993年2月 | ギターが藤田奏司に代わりTAKUYAが加入。ジュディマリのオリジナルメンバーが完成する。 |
1993年9月 | メジャーデビュー |
1994年12月 | セカンドアルバムがオリコン2位を記録 |
1995年6月 | TAKUYA作曲の「Over Drive」が計60万枚を突破しバンド初のヒット曲 |
恩田快人さんとYUKIさん中心になって始まったジュディマリですが、実は恩田さんはこのバンドで本腰に活動を続けるつもりはありませんでした。
そもそもYUKIさんが”バンド活動をしたいけど何して良いかわからない”という状態の時に出会い、自分と組んできっかけを作り、別の形でYUKIさんが売れてくれたら良いと考えていたのです。
1992年にインディーズアルバムを出してライブをした後は、”実質、解散状態”だったのです。
ジュディマリはヒットを連発するも99年活動休止→00年YUKI結婚→01年解散
友達バンドではなく、YUKIさんもTAKUYAさんも商業的な誘いから加入しており、2人共他メンバーとは約ひと回り年下です。
1993年にメジャデビューし、”初めてのヒット曲”は95年のTAKUYAさん作曲の「Over Drive」でした。
その後にはYUKIさんのカリスマ性で人気に火が付き、オリコン1位を連発し、ジュディマリ=YUKIのイメージが強く付き纏いました。
1998年に2度目の紅白歌合戦に出場した後、”充電期間”として約1年間の活動休止を発表しています。
2000年の活動再開の後はベストアルバムが200万枚突破し、同年にはYUKIさんが結婚。
翌年2001年に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表。同年にラストシングルとアルバムをリリースし、3月8日の東京ドームライブを最後に解散しました。
ジュディマリが解散した理由は恩田とメンバーの確執。TAKUYA、YUKIの急成長と恋人関係
ジュディマリは2001年の3月で解散しました。
当初から、解散の理由は恩田さんと一部メンバーの確執にあると言われていました。
ジュディマリはリーダーの恩田さんが構想を作りましたが、年下コンビのTAKUYAさんとYUKIさんの成長が著しく、バンド内でのパワーバランスが狂ってしまったのが原因だとされています。
TAKUYAさんの曲の評判が良く、活動後半の楽曲はほとんどがTAKUYAさんが作曲していました。
ジュディマリのバンドテーマはあくまで、ポジティヴな女のコ“ジュディ”とネガティヴな女のコ“マリー”の二面性でしたが、TAKUYAさんの力強さから”ジュディ”ばかりが全面に出るようになってしまったのです。
また、YUKIさんのカリスマ性の凄まじさは想定外で、作詞作曲などで揉めることが増え、恩田さんがバンドをコントロールできない状態になっていたのです。
TAKUYAとYUKIの恋愛関係が解散に響いた?
ジュディマリはリーダーの恩田さんとドラム・五十嵐さんの同い年(学年は五十嵐さんが上)に、YUKIさんとTAKUYAさんの同級生コンビ(生まれ年はYUKIの方が下)から成り立つバンドでありました。
五十嵐公太(ドラム) | 1963年1月17日 |
恩田快人(リーダー兼ベース) | 1963年12月13日 |
TAKUYA(ギター) | 1971年9月9日 |
YUKI(ボーカル) | 1972年2月17日 |
ひと回り年上のお兄さん2人と、それに従う2人の若者男女という構成でした。
バンド活動が始まってすぐにYUKIさんとTAKUYAさんは恋愛関係になりましたが、それは自然な成り行きでした。
交際していた時期は1994年から1997年までの約3年間と、それなりに長いです。
二人の交際はファンの間でも知られており、当時から二人の恋仲をよく思わなかったファンもいたそうです。
「音楽への向き合い方などの違いが重なり、修復不可能になったということです。TAKUYAさんの発言力が次第に強くなり、リーダーの恩田さんの居場所がなくなって脱退を表明しました。TAKUYAさんとYUKIさんが男女の仲になったことも、不協和音を増幅させたんでしょう」(音楽業界関係者)
二人が破局した後、2000年にYUKIさんが結婚し、その1年後の2001年に解散しました。
長く交際していた背景から、YUKIさんが既婚者になって元カレと仕事をすることを嫌がったのではないか?という見方もできます。
YUKIの個性が伸びすぎた。結婚して成熟した女性へ成長。音楽でやりたいことも変わる
ジュディマリの顔と言っても過言ではないボーカルのYUKIさん。
特徴的な歌声だけでなく、個性的なファッションは多くの女性に影響を与えました。
加入当時は20代前半だったYUKIさんも、解散する手前には29歳で結婚していました。
YUKIさんがジュディマリを辞めたくなった1番の理由は、成熟した自分とジュディマリの楽曲の世界観とのギャップにあったのではないか?と憶測されています。
YUKIさんは2022年6月に「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」に出演した際に、
「今凄くいいこと言ってくださったんですけど、JUDYANDMARYを解散して、ソロデビューした時は、オルタナティブロックが凄い好きだったんで、それをやりたかったんですね」
「ずっとJUDYANDMARYってキーが高かったんですけど、低いのが歌いたかったんですよね。だから最初ソロデビューの時は一番歌ったことのないような低いキーでいきたいとか、こう見えたい、ああ見えたいばっかりでした。20年前は」
「2、3年は大変。どういうふうに自分が一人でやっていけば。こういうのやりたいけど、こういうの聞きたいかなとかちょっと分からなくなりますよね。試行錯誤でしたずっとね」
と語り、当時の自分がやりたいことが多すぎたと語り、歌唱に関してはジュディマリではできないことをやりたかったとハッキリと告白されています。
解散後にソロとしてリリースした作品には、母性的な曲であったり、大人の女性の側面が多くみられ、いずれもジュディマリの世界観の中では表現が難しかったことが伺えます。
ジュディマリのメンバーの現在。五十嵐公太、恩田快人、TAKUYA、YUKI、TAIJI。全員現役で音楽活動中!
ジュディマリの元メンバーが現在何してるのか?
YUKIさんがソロミュージシャンとしても成功してるのはいうまでもありませんが、他の3人も順調に音楽活動を続けています。
YUKI | 順調にソロ活動 |
TAKUYA | 大物ミュージシャンに楽曲提供&サポート活動。俳優・タレントとしても活躍。 |
五十嵐公太 | プロデュース。サポート。スタジオミュージシャン。スクール開設。 |
恩田快人 | プロデュース。スタジオミュージシャン。 |
藤本奏司 | †яi¢к(とりっく)のギターとして活躍中。 |
ちなみに藤本奏司さんはジュディマリがメジャーデビューする手前に在籍していたギタリストです。
ジュディマリの参加を辞退した後もバンドを結成しています。
五十嵐公太は現在も現役でユニット参加で楽曲もリリース。大物ミュージシャンのライブやレコーディングに参加
五十嵐公太さんはロックバンドATOMIC POODLEのメンバーとして活躍。2020年11月18日にアルバム「MONSTAR」をリリースしています。
また、洗足学園音楽大学音楽学部ドラムコースの講師も務め、さらに自分のユニットでも現役でドラムを叩き、大物ミュージシャンのサポートとしても活動しています。
恩田快人は現在も音楽プロデューサーとして活躍。バラエディ番組出演やWhiteberryのプロデュース
恩田快人さんはKinKi Kidsの冠番組「堂本兄弟」の番組内でのバンド、堂本ブラザーズバンドのメンバーとしても活躍しました。
ガールズバンド・Whiteberryのプロデュースを行ったことも記憶に新しいですが、現在もアーティストたちに楽曲提供も行い、現在も音楽プロデューサーとして活動を行っています。
TAKUYAはSMAPなどに楽曲提供。高橋健のプロデュースや音楽系のYouTubeチャンネルも人気
TAKUYAさんは楽曲提供を行っており、SMAPに楽曲を提供したこともあります。
2003年6月25日にリリースされたSMAPのオリジナルアルバム「SMAP 016/MIJ」の収録曲「ススメ!」の作曲を、TAKUYAさんが担当しています。
又、TAKUYAさんは歌手の高橋瞳さんのプロデュースなども手掛け、高橋瞳さんの楽曲「コ・モ・レ・ビ」「ブレイクスルー」「STAY TUNE」も、TAKUYAさんが作曲、編曲、プロデュースを手掛けています。
ももクロでサポートメンバーとして活躍したこともありました。
現在、TAKUYAさんも音楽業界で活躍中で自身のYouTubeチャンネルも開設し、音楽関係の動画の投稿を行っています。
藤本奏司は現在もメンバーと親交あり。現役のギタリストとして活躍中
藤本奏司さんの現在はTRICK、PIRANHA SIXTY-NINE KINGZに所属しています。
特にDancerで名を上げ、すでに解散したD.T.Rでの活動も知られています。
現在も恩田さんや五十嵐さんと親交があり、2014年3月14日にはフジテレビ系「僕らの音楽」に、恩田快人さん、五十嵐公太さんと出演しました。
番組で小南泰葉・対談相手中川翔子をボーカルに迎え「そばかす」を演奏していました。
THE DEAD P☆P STARSではTAIJIを名乗っているので、2011年に亡くなったXのTAIJIさんと間違われることがありますが別人です。
JUDY AND MARYの再結成はYUKIが嫌がっている?他メンバーは新譜にも前向き
ジュディマリの再結成や新譜リリースは長くファンが持ち望んでいることです。
しかし、残念ながらも、その可能性は極めて低いです。
その理由はバンドの顔であるYUKIさんが再始動に対してネガティブで、他メンバーとも距離を置いているためです。
YUKIさんはジュディマリを辞める前に”封印する”と断言しており、実際に解散して20年以上経った今も宣言を守っています。
「彼女は性格的に、過去を振り返ったり、とらわれたりするのが大嫌い。リーダーの恩田さんが脱退を表明した当時、新たなメンバーを入れようとしたTAKUYAさんと違って、YUKIさんは“解散しかない”という考えでした。彼女ひとりが原因ではありませんが、彼女がやりたくなければバンドは続かないんです。それは再結成も同じでしょう」(芸能プロ関係者)
他メンバーが気軽にジュディマリ時代のことを振り返り、再結成に対して言及するのに対して、YUKIさんはアイデンティティを伝える手段でしかジュディマリの過去は語らず、今度の再結成に対しては深く言及したがりません。
YUKIがジュディマリの話を止めている。メンバーからの連絡も楽屋訪問も拒絶
2019年に雑誌「女性自身」にて、YUKIさんがジュディマリの再結成に消極的であると報じられました。
雑誌の中で恩田さんのイベントの中での言葉や、五十嵐さんへの直接インタビューが載っていたので信憑性のある話です。
「(当時の所属事務所でCD発売元の)ソニーに言っているんですけど、進んでいなくて。止めているのは、YUKIなんで。YUKIがソロ活動において、ジュディマリが(再び)出てくると(ソロ活動が)薄らぐらしく、YUKIが圧力かけて止めているから。俺らに言わないで、YUKIに言ってよ。俺は出そうって言っているんで」
と、YUKIさんが現在の自分のソロ活動への影響を考え、再結成に関しては圧をかけて止めていると発言されています。
五十嵐さんは、
「実は、ソニーには2度連絡して、YUKIに会いたいと伝えました。しかし毎回、折り返すと言われたまま、連絡はありません。彼女のコンサート会場に恩田と行って会いたいと言っても、楽屋に入ることすら許されません」
と、過去に恩田さんとソロライブの会場に訪問したものの、バックステージに入れてもらえなかったことを明かしました。
週刊女性の記者がYUKIさんに訪問取材し、バックステージに入れるのを拒否したことについて聞かれ、
「それは、当時は私にも上司がいましたので、そのあたりは、どのように対応したのかはわからない」
と答えており、決してYUKIさん個人だけの決定ではなかったことがわかっています。
それでも、他3人が定期的に集まっているのに対して、YUKIさんだけは誰とも関わっていないのは不自然ですね。
現状、YUKIさんが再結成を止めているような印象がありますが、もしかしたら問題はもっと複雑なのかもしれませんね。
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